クラス替え

 

「今日来たのはあなたに会うためではなくて、忘れ物を取りに来ただけなんです。 」

 

外の光が廊下に落ちる

窓枠が春風で揺れる

机を引きずった音

流しっぱなしの水道

揺れる、揺れる

廊下の端から端まで

半径100メートルの中で

誰かが落としていったのだな

その中に自分もいたのだな

バイトとスタジオ

最近は家とバイト先と大学側のスタジオを行ったり来たりしています,

 

現場からは以上なのですが、

 

どうもそんな毎日が充実しないんです

 

いやはや時間の流れってのは早いもんで

 

もう三年生ですよ!?

 

畜生大学生天晴!!

失くしたのは単位か自信か、

 

本のカバーをかけるか、

エフェクターを踏むか、

はたまた電車に揺られるか、

 

三寒四温は御構い無し

ひっきりなしになりやがる電話

どうしようもなくありきたりなメロディー

 

出来過ぎな代表戦

UはAでE?

 

ポップとロックは吐くまで衝突

 

そんなこんなで日常は続く

 

イヤホンを忘れた

電車内、書いてます。

 

両隣を俗に言うぱりぴというものに囲まれておる。

 

でも時々

 

「20連勤」

 

「就職」

 

「卒業」

 

という言葉が耳に入ってくるもんだから、

 

 

私はスマホをいじるのをやめる

 

それより気になるのがその奥の女だ

 

とりあえず喋るならまともな言葉を使ってくれ

 

 

「しょうなにょヲ〜?アタチもしょうおもユよ$@#〒!!」

 

 

やめてくれい

 

隣の男の目が怖かった

 

 

誰になんて思われているのかはわからない

 

イヤホンをつければpvの主人公みたくなれるから自分だけの世界で他人とは干渉せず生きていられる。

 

私は電車から降りる

 

風が冷たい

 

駐輪場で自分の自転車を探す

高校生のチャリをかき分けて取り出す

チャリに乗るのでブログも書き終えねば

 

 

 

頭の中で流れた曲は

 

 

「同じ空の下」

絵を描く

勉強するのが嫌だから絵を描くのであって、絵を描くということを勉強するという考えを持ってしまったら元も子もないじゃないか!?

あの先生の顔はこう描けば面白いとか、

好きなものを好きなように描くとか、

小学生の時無意識的にできていた

「ありのままを描く」という行為が

1番観る人にとってプラスになるのではないか?

愛という革命について

部活の選考会が終わって、帰りの電車の中で書く。フジロッ久(仮)というバンドを最近聴いている

 私はこのバンドの、とりわけGt.Vo.の藤原亮が作り出す歌詞が大好きだ

 

お前にはわかってもらわなくていいんですマジで!!

 

って心の隅でバリケード張ってるような自分を殴ってハグして胴上げしてくれる。

 

小学校の頃思ってた夢とか、

恋愛とか、

都市伝説みたいなのとか、

 

よくこんな大声で恥ずかしげもなく言えるな

って思ってたけど、

 

あまりにも潔く、

馬鹿正直純粋無垢に最高の笑顔で歌ってくれるもんだから、

 

ひょっとしたらそうなのかもしれない!って思えてきて、

それだけで何か言葉にできない感動と嬉しさがあって、

 

非日常も、

深刻な問題も、

全ては日常の素晴らしさに気づかされて、

愛という大きなテーマの一部になって、

最終的にみんな笑顔でハッピーエンド

 

そんな気持ち

 

誰も悲しい気持ちにならない

 

フジロッ久(仮)の楽曲にこういった歌詞がある

 

ゆこう 聞こえるよ

そこかしこ上がる 声の中を

命が通る

気持ちにともる

温度が伝って また声になる

キスをする

息をする意味を知る

この世界は誰のだろう?

 

フジロッ久(仮)というバンドに出会えてよかった。

これはきっと運命なんだ!!って

胸を張って言える

言葉のフィルター

人間の心の中には多分言葉のフィルターがあって、例えば恥ずかしいようなことやお互いを傷つけたりしてしまうようなことは大抵もう少しマイルドに、毒やナイフはオブラートに包んで他者に届けるようになっている

でもそれがかえって逆効果で、もっとストレートに伝えた方がかえってよかったのに…と思ってしまう時も多々あり、心の中でタチの悪い押し売り業者がやってきて、後悔の念を無理矢理買わせようとしてくる。

 

 

どちらも正解とは言えない

でも純度100パーセントの方が

かえって心の傷を癒したりしてくれる時はある